気まぐれ日記 2022年11月

2022年10月はここ

11月1日(火)「やっと展示の準備を開始・・・の風さん」
 いつも通りの時刻に起床した。天気予報通り、やはり雨。湿度が高いせいもあるが、花粉症はおさまっていて、腰痛もない。そうか。昨日は疲労が蓄積して免疫力も低下し、花粉症になったのだ(外出が続いて、セイタカアワダチソウの花粉を吸った可能性もあるが)。疲労の蓄積は、筋力低下による腰痛の発生でそれを裏付けている。
 新しい月になったので、月例の掃除がある。昨夜は、カレンダーの更新だけしておいた。今日は残りのさらに半分をやろう。朝食後、洗面所と空気清浄機の掃除をした。
 今日はワイフが実家に慰問に出かけたので、そのすきに hairdye を強行することにした。並行して、いくつか雑務もできる。午前中は、ほぼ順調に仕事が進んだ。
 まさかこんなに遅れるとは思っていなかった。とにかく今日からやっと「市民講座」の展示の準備を開始だ。
 準備の中心は、壁に貼り出す、説明文や写真類だ。先ず、展示の中心となる「秋田の和算」ゾーンの全体レイアウトを考えた。左半分は、山口和が歩いた道の補足説明。右半分は、秋田の和算の全体像と山口和が訪ねなかった算額のある神社の紹介だ。その中の西長野熊野神社の展示が圧巻となる。録画の繰り返し再生も設置する(まだ使えていないが)。
 夕方、ワイフが帰宅した時点で、展示資料作成の進捗はきわめて遅かった。なるべく新規の資料は作らないようにしているが、それでも、あとからあとから作りたい資料が出てくる。今夜は、講演準備はできないだろう。これは恐ろしい判断で、2つの講演資料を、明日一日で作るという決断でもある。
 午後7時から、菅原会長とオンライン打ち合わせをおこなった。懸念点がいくつか解決した。
 午前4時までかかって、かなりの展示資料ができた。しかし、すべてではない。とりあえず、ここまでだ。就寝は午前5時。

11月2日(水)「出発前日にこれかよ・・・の風さん」
 午前9時起床。睡眠不足だが仕方ない。まだ2つの講演の準備が出来ていない。2つとは、1つは「市民講座」の一般向け講演、あと1つは本大会の大会長としての記念講演である。
 なので、月例の仕事の後半、つまりレンジフードと天井の掃除は、来週に延期した。
 私の講演の標準スタイルは、1時間半たっぷりかけて、本物のデータに基づいたスライドを駆使し、本人は壇上でもフロアでもよく動く(笑)。しかし、今回の講演はそういうものではない。何かの式典の挨拶に近い。しかし、興味深い内容。とにかく簡潔に短く終えるべきである。
「市民講座」の講演は、一般の方向けなので、楽しい内容でなければならない。これまでの講演の中から、そういう部分を探しまくって合成して作ることにした。
 それが出来たのが、やっと夕方だった。
 次は、本大会用だ。和算研究家が対象なので、彼らが興味を引くものにしなければならない。今回は、やはり『鬼女』の執筆の中で、苦労した話をすることにした。完成度は低いが、カッコつけるより、いかに小説家にとって和算という題材が難しいか正直に話した方がいい。
 これが出来たのが、午前3時頃だった。
 旅行の準備も出来ていなかったので、それから準備して、結局、今日も就寝は午前5時になってしまった。

11月3日(木)「合宿所(?)までの旅・・・の風さん」
 就寝が午前5時では、10時に起きるのが精一杯だった。
 出発の準備はほとんど出来ていると思っていたが、まだ荷造りするものが残っていた。展示する和算小説だった。小箱2つとレジ袋1つに詰めた。もう入れ物も残っていない。
 大量の荷物になった。すでにディスプレイを持って行くのは断念している。絶対に持って行くものから、優先順位をつけて玄関と廊下に並べた。それらを見て、キャメロンに全て乗せるのは無理だと思った。呆然としている私を見て、ついにワイフが手を出した。大丈夫だと主張する。いつも否定的な意見で私の足を引っ張るワイフとは思えなかった(笑)。
 結局、全て積み込むことができた。朝食はもちろん昼食も摂らず、昼過ぎに出発した。ワイフがおにぎり2個とお茶、饅頭1個を持たせてくれた。
 今日の目的地は、新潟県新発田市の月岡温泉である。予約した宿は温泉もないし、近くの温泉を利用できる特典もない。そこは、秋田への経由地にすぎない。しかし、500キロを超えるこの目的地を選択したのは、すぐ手前に山口和の故郷水原があるからで、水原を再訪したかった。
 天気は快晴。睡眠不足の割に運転はスムーズだった。不思議と元気だ。気が張っているせいだろうか。知多半島道路、名二環、東名を走って、中央道に入ったところで、ピットインした。虎渓山PAである。祭日で天気も良いが、道路もPAもあまり混んでいない。ここでおにぎりを食べた。
 その後も、1時間か100キロに1回くらいの割合で休憩をとりながら、長野県から新潟県へと進んだ。すでに日没近く、水原再訪は断念した。
 月岡温泉の宿は、まるで合宿所のようだった。午前0時を過ぎたら外出禁止である(笑)。バスタオルと部屋着は別料金。和室中心だが、洋室が確保できたのは良かった。

11月4日(金)「深夜縦列駐車・・・の風さん」
 市民講座のお手伝いを頼んでいる中学校の同級生と再度の事前打ち合わせをするために、早く出発する必要があった。距離はそれほどないが、一般道を走行することが多いのだ。早起きし、朝食もさっさと済ませ、合宿所のような宿を8時前にチェックアウトした。
 昨夜から降り出した雨はまだ上がっていなかった。
 昨日と違って行程は、高速道、有料道路と一般道が断続的に続く。事前打ち合わせの予定時刻までに到着できるか不安だった。
 一般道を走って、新潟県から山形県に入ったところで、日本海が見えた。ここからは、だいたい日本海の近くを北上することになる。
 雨も断続的に降っていて、気温が下がってきた。だいたい10度前後らしい。雪にならねばいいが。それにしても、キャメロンのヒーターの温度設定をマックスにしても暖気が出てこない。油温計は低く、エンジンがオーバークール気味なのが分かる。サーモスタットが不調なのだろうか。
 予想到着時刻が、一般道を走っている時の方が、どんどん早まるのは、信号で止まることが少ないからだ。速度も高いが(笑)。
 鳥海山は雲に覆われていて、見えないが、秋田県に入るのが近い。山口和の文庫の中にも出てくる吹浦である。今日は取材している余裕はない。
 なんとか同級生との事前打ち合わせ場所(由利本荘市)に、目的の時刻に到着した。
 市民講座の準備が十分できていなかったので、不安で不安で仕方ないと、泣き言が言えるのは同級生だからだ。とにかく現状を詳しく話し、そういった不安を聞いてもらえるだけで、私の不安は少しずつ軽くなっていった。持っていく荷物もいくらか分担してもらった。これで今夜の搬送が楽になる。
 由利本荘市から秋田市へ向かう前にすることがあった。給油と洗車だ。
 満タン給油だけでなく、自動洗車までしたのは、明後日、小学校時代の親友の家に寄り、キャメロンを自慢するのだが、汚れていてはケチをつけられる(笑)。ところが、洗車後、上がったと思った雨がまた降り出した。
 秋田道を通ってひた走り、前泊の宿に着いた。宿泊用の荷物だけ部屋に置き、明日の市民講座の準備のため、会場横の立体駐車場へ向かった。ここは午後4時から翌朝まで500円で駐車できると、高校の同級生が教えてくれた。うまい具合に、会場のある建物への連絡通路があるすぐ近くに駐車できた。
 その後、菅原会長や元副知事、高校の同級生らと合流し、午後9時過ぎから展示室の準備に取り掛かった。菅原会長の応援、大沢さんも駆けつけた。
 前もって考えていた通り、机を周囲に並べて、何もなくなった床の上に、私の頭の中のイメージに従って、壁に貼り付けるビラを並べた。壁に貼るのは、主に元副知事がしてくれた。
 一人ででもやる覚悟だったが、助っ人が5人も来てくれたので、部屋の利用期限の午前0時よりだいぶ前に終了した。助っ人に感謝感謝感謝。
 前泊のホテルに戻ったら、屋外駐車場がいっぱいで、L字形の路地になっている第二駐車場奥の隅っこの1台分しか空いてなかった。縦列で止めるにしても、頭からはできない。一旦路地から出て、今度はバックで路地に入り、苦労して縦列駐車したが、キャメロンだからできたのだ。ドイツでの駐車より難しかったかもしれない。
 ホテルの部屋へ戻ったが、就寝できる状況ではなかった。
 市民講座の展示は、私がそばに立っていれば、いくらでも解説できるし、質問があれば回答もできる。しかし、常時そこに立っていられるわけではない。つまり、解説のビラがないのが、懸念点だった(ここまでそれらを作っている余裕はなかった)。
 展示したビラのすきまに、簡単な解説のビラを作って貼ることにした。
 先ず、メモ用紙に、原案をなぐり書きし、必要最小限の文章を考えた。次に、A4の白紙をたくさん持参していたので、それらに鉛筆で解説文を(レイアウトを考えながら)書いた。最後に、マジックを使って細字と太字を組み合わせながら、書き込んだ。消しゴムを持参しなかったので、下書きは残ったままだ。
 就寝は午前3時になった。

11月5日(土)「入場者が多かった市民講座・・・の風さん」
 市民講座の開場は午前9時である。我々関係者は、午前8時半に会場となるにぎわい交流館に入れることになった。それでも、研修室に入れるのは8時45分である。とにかく、展示を完成させるため、現地に早めに着いていなければならなかった。
 6時半に起床し(ということは、睡眠時間は3時間半)、7時半から朝食を摂り、チェックアウトし、8時にはホテルを出発する計画を前夜に立てて就寝し、それを必死に守った。
 先ず、大会関係者が宿泊するホテルの駐車場まで行って、キャメロンを駐車した。そこから徒歩でにぎわい交流館へ行った。すると、待ちに待った224方陣をかかえた阿部楽方さんの長女の方が、先着していた。以前も見ているが、224方陣はとにかく大きい。2メートル四方くらいある。東京から湯沢市の実家を経由して、今朝秋田市に入ったのである。ご苦労様。
 関係者が次々に集まってきて、8時半ににぎわい交流館に入り、8時45分、研修室へ入った。私は、先ず、未明に作成した解説ビラを養生テープで貼っていった。
 中学校の同級生たち4人がやってきたので、販売用書籍の陳列と古文書類の展示をお願いした。一人は展示物の監視専門である。私は、ビラの引き出し線代わりの紐(同級生が厳選した仕付用アイロン接着テープらしい)を受け取って、ビラとビラをつないでいった。
 繰り返し録画再生の準備をしている時に、早くも見学者がやってきた。大会関係者で前泊していた人もけっこういたので、この来場は予想以上に早くて多かった。拙著も売れ出した。見学者の対応をしている余裕はなく、私はひたすら展示のリファインに最後の努力をしていた。
 午前中に、私と菅原会長の講演があったが、広い研修室に入場者がいっぱいになった。二人の講演は、一般市民向けにアレンジしてあったので、楽しめたと思う。
 展示室には次々に入場者があるので、昼食を摂っている余裕もなかった。水1杯飲めなかった。
 午後は大会行事で、大会長挨拶だけでなく、記念講演もおこなった。司会は高校の同級生で、不思議な経験をした。大会行事の前半が終わったところで、展示室へ行くと、すぐに入場者の応対でてんてこ舞いになった。
 研究発表は、最初の224方陣の解説を聴いてすぐ、また展示室へ戻った。見学者は絶えることがなかった。講演と繰り返し録画再生の効果で、『遊歴算家・山口和「奥の細道」をゆく』と『鬼女』がよく売れた。秋田魁新聞が、本番の取材にも来てくれた。
 研究発表の最後の上野健爾先生の講演を聴講したあとは、展示室の片付けを同級生らと始め、荷物は貴重品以外すべて持ち帰ってもらった。明日、由利本荘市で同級会をする前に受け取ってキャメロンに積み込むのである。この段取りは、苦肉の策だったが、効果は抜群だった。
 にぎわい交流館での行事が終了した。高校の同級生二人は、すぐに「第18回全国和算研究大会秋田大会」の看板の取り外しに取りかかっていた。彼らの献身的なサポートにはいくら頭を下げても足りない。
 ホテルの写真室へ行って記念撮影(集合写真)をした。何人か集まらなかったが、このときは気が付かなかった。
 その後、幹部らによる代表者会議と夕食会が並行しておこなわれた。どちらもアルコールの出ない食事会である。
 私は6人のメンバー(菅原会長、上野先生、元副知事、高校の同級生2人と私)を選抜して、2次会を企画した。このメンバーによる懇親は実に楽しいものだった。話題があちこちへ飛んだが、共通のことが多く、新たな発見が多かったのである。公式行事だけでなく、こういったサブのイベントは重要である。コロナが比較的落ち着いているので助かった。
 午後10時ころホテルの部屋に戻った。豪華な部屋である。それはそれで嬉しいことだが、それよりはるかに嬉しいことがあった。自宅で、サラちゃんがついにケージから出たのである。ラインのメッセージで知った。こんなに早く出てくるとは思わなかった。週末をねらってやって来た長女が、これまで注いだ愛情の成果として、自信をもったのだろう。感動以外のなにものでもない。不幸な育ちをした保護猫でも、愛情によって普通の猫に戻れる可能性が、サラちゃんにも見えてきた。
 しかし、喜んでばかりではいけない。大会行事はまだ残っている。明日のための連絡をあちこちにして、想定外のことが起きないように配慮する必要があった。菅原会長や同級生も色々と下準備しているだろう。それにしても、明日の天気予報は雨である。算額の見学も武家屋敷の見学も屋外活動だ。雨ではやりにくい。
 明日のための着替えの靴下を出したら、一瞬、水玉模様に見えた。何とあちこち虫に食われて穴があいている。鳥肌が立った。自分で入れたパラゾールの効果がなくなっていたのだろう。その靴下はごみ箱へ捨てた。迷信深くはないが、明日の不安がふくらんだ。
 
11月6日(日)「イベント運営の難しさ・・・の風さん」
 起床して、窓から空を見上げたら晴天である。幸運としか言いようがない。
 バスは8時半出発の予定だった。後続の自家用車が(私のキャメロン含めて)何台かホテル前に並んだが、定刻になってもなかなか出発しない。遅刻する人がいたからだ。しかも複数(笑)。バスを先発させ、同級生がマイカーで追いかけることになった。こういったハプニングが必ず起きる。オプション(選択肢)を用意しておかねばならない。高校の同級生は、こういったことに慣れていて、次々に対策案が出てくるから驚きだ。
 心配していた西長野熊野神社にバスはスムーズに到着した。あまり統率がとれているとも思えなかったが、比較的順調に算額見学は進行した。これも心配していたことだが、落ちているギンナンは宮司のお父さん(以前AKT取材のときの登場した方)がせっせと拾ってくれていた。宮司と親しく話ができてよかった。
 大会最後の行事は角館武家屋敷観光。青柳家までの先導は私の役割だ。駐車場のバスの前に全員が集合したと思ったら、頭数が少ない。ぱっと見ですぐ分かるのだから、一人二人ではない。しかし、待っている余裕はない。出発した。すると、案の定、近くの公衆トイレからメンバーが出てきた。途中でトイレ休憩も入れたのに、何たること(笑)。
 大会はお昼で終了した。その後、電車(新幹線)での帰宅組はバスで角館駅へ、空路帰宅組(6人)は、高校の同級生が2台の乗用車で秋田空港へ送った(どこまでもボランティアで頭が下がる)。この頃からポツポツ雨が降り出した。
 私は菅原会長、長野県和算研究会事務局長と3人で昼食を摂ってから、正式に解散した。会長によると、今回特別に編纂した本がいくらか売れたので、赤字額がかなり減ったらしい。よかったよかった。
 次の目的地は大曲だが、途中、コンビニに寄ったら、今来た方向に虹がかかっていた。山並みも背景にした低い虹だったが、虹を見たのは久しぶりな気がする。不安と心配でいっぱいだった日々が、ようやく終了したことを実感した。
 大曲では自転車店を営む親友宅に寄っただけだ。目的はキャメロンを自慢するためだった。親友も以前NAに乗っていて、今はNDなので、久しぶりにNAを見せてやったわけだ(笑)。
 親友のアドバイスで横手にある秋田ふるさと村へ行き、お土産を買ったり、そこから宅配で送ったりした。
 その後、秋田道経由で由利本荘市へ向かった。ホテルに着いてチェックインし、中学校の同級生と合流し、持ち帰ってもらった荷物をキャメロンに積み替えた。
 今夜の中学校の同級生との同級会はお疲れ様会でもあった。場所はいつものスナックKだ。コロナで大変だったろうが、スナックは生き延びていた。しかもオーナー(同級生)は『鬼女』まで買ってくれていて、もうすぐ読み終わるところだという。ありがたいことだ。他にも常連の同級生夫婦や比較的近くに住む同級生も来てくれた。
 ここの同級会ではカラオケで盛り上がるのが通例だったが、今夜は、延々とおしゃべりだけだった。飲み過ぎた私はすっかり酩酊してしまい、ホテルに戻ってバタンキュー。これまでは必ず風呂に入って疲れをとってからだった。それすらできないほど酔っぱらっていた。あるいは、一気に疲労が出たのかもしれない。

11月7日(月)「復路も安全運転で・・・の風さん」
 大きな仕事を終えて、気楽な朝がやってきた。しかし、まだいくらか緊張が残っている。余韻とは違う。復路も800キロくらいあるのだ。無事に帰宅できて初めてリラックスできるだろう。
 最上階のレストランで、時間に追われない朝食を摂った。窓際の席を確保し、眼下に眺める子吉川が郷愁をさそう。自分はまだ心のふるさと秋田にいるのだ。
 昨夜キャメロンに積み込んだ荷物を整理して、段ボール箱2つが空になった。秋田のにぎわい交流館の片付けで、段ボール箱1つとレジ袋1つがなくなったので、これらが会場で売れた本の成果である。お土産をたくさん積み込んでもキャメロン内に余裕ができた。
 由利本荘市内で満タン給油してから、高速道にのった。3日(木)と逆コースで帰るのだが(途中までは山口和の旅と重なるコース)、今日の目的地は、長野県塩尻市で、そこまででも500キロ以上ある。
 復路では往路で見えなかった鳥海山が見えた。県境にあるここを過ぎると、山形県だ。往路で寄って動画を撮っただけの道の駅「あつみ」で昼食(庄内ブタの焼肉定食)にした。日本海の雄大な眺めをまた動画にした。新潟県に入ってからは、もう一般道を走ることはなく、ひたすら高速道路で、目的地までの距離がぐんぐん減っていく。復路もだいたい走行距離で100キロまたは走行時間で1時間をこえたあたりで休憩をとった。ボケ老人にはこのペースがちょうどいい。そして、これくらいならまだ大丈夫という手応えも感じた。
 工事中で片側規制が多かったが、ほぼ狙い通りの時刻に塩尻市に入った。コンビニで夜食類を調達して、最後のホテルを目指した。やや和風の良いホテルで、初めて全国割引が使えた。チェックインすると、長野県からのクーポンのプレゼントもあり、お得感が増した。
 ここには温泉ではないが大浴場があるので、探検を兼ねて行ってみると、会社の保養所の大浴場くらいだった。それでも、部屋のユニットバスよりはリラックスでき、疲れも抜けそうだった。浴槽はヒノキの香りがする。
 明日の朝食は最後の時間帯、8時半で予約したので、それほど早起きする必要はない。MacBookAirを取り出して、メールチェックや気まぐれ日記に取り組もうとしたが、ほとんどできなかった。やはり、疲れているのだ。

11月8日(火)「1800キロ走行して・・・の風さん」
 時間的な余裕があったので、朝も大浴場へ行った。同じことをする人は他にもいて、旅慣れているなと思った(彼らは観光ではなくビジネス出張だと思う)。
 朝食後、少しメールの送受信をやった。元気が戻って来た。
 10時にチェックアウトして外へ出ると、満車だった駐車場にキャメロンがぽつんと残されていた。
 クーポンが使えるショップは昨夜のうちに選定してあった。ナビにセットして直行した。地元の(信州の)ワインを売っている店だ。国産ワインは普段はあまり買わないが、いただいたクーポンは地元に還元しなければ主旨に反する。そこで、ロゼと白の信州ワインを購入した。
 キャメロンに満タン給油してから高速にのった。残りは200キロ強である。午後3時までに帰宅できそうだ。
 昼食は途中のSAでかきあげ蕎麦を食べた。昨日からもうぜいたくは許されない(笑)。夏以降、おびただしい出費が続いてきた。効率重視で時間をお金で買っていた面が強い。それはそれで仕方ないことだ。
 自宅が近付いて、トリップメーターを見ると、今回の秋田往復の総走行距離は約1800キロになる。思ったより100キロ以上伸びている。経由地を設けた往復と、秋田県内での走行が意外と多かったからだろう。総交通費は5万円前後ではないだろうか。空路とレンタカーを使うよりは安かったと思う。事故につながりそうな危ない場面がなかったのは、超ベテランだからだ。しかし、これから何年、ハンドルを握ることができるか。75歳までの6年を考えた時、キャメロンか自分のどちらかに限界が来るような気もする。自分の場合、その判断が難しい。
 キャメロンから荷物をすべておろし、屋内に入って、真っ先にサラちゃんを探した。
 サラちゃんはケージの外で、ダイニングテーブル、私の席の隣にいた。そこが気に入っているという。
 ケージの外にいるサラちゃんを見るのは不思議な気分だ。そして、うちの猫に一歩近付いていることを感じて、嬉しかった。
 キャメロンからおろした荷物のほとんどは、あちこちに置きっぱなしだ。明日から片付ければいいのだが、児童書の再校ゲラが届いているし、『会津人群像』用の原稿執筆もある。どちらも、来週までにやらねばならない。さらに、来月に締め切りがある原稿が2本と講演も2つ、セミナーも1つ予定されている。こりゃ大変だ。

11月9日(水)「本当に忙しくなってきた・・・の風さん」
 昨日は比較的早い時間に帰宅できたので、就寝もそれほど遅くならず、今朝は十分睡眠時間も確保して起床できた……はずだった。体力も復活していると思い込んでいた。
 急遽、文庫を送ることにしたため、JP分局へ向かった。購入したスマートレターに入れて、そのまま投函した。こういうバタバタしたことをやっていると体力を消耗するものだ。
 ドラッグストアからホームセンターへまわって、買い物もした。パラゾールがなくなったので、早く買わなければならなかった(例の靴下の穴事件)。
 秋田大会で販売するために、拙著を緊急購入してあったので、じぶん銀行(振込手数料が月に5件まで無料)に現金を入れる必要もあった。
 先週末に児童書の再校ゲラが届いていて、著者校正をやらなければならなかったが、荷物の片付けもあって、今日は手をつけられない。ところが、編集者から装丁に関する電話があり、手持ちの資料を画像データにして送ることになった。
 そうこうしているうちに、中産連の知り合いから電話があり、コンサルの仕事について相談を受けた。非常に興味を覚えたが、相手に迷惑をかけてはいけないので、真剣に自分の考えを伝えた。仕事になるかは分からない。
 やれやれ。何でこんなに忙しいの? 
 久しぶりにサラちゃんの動画を撮ってインスタグラムに投稿した。

11月10日(木)「掃除は終わったけれど・・・の風さん」
 旅行中は寝坊できなかったが、また起床時刻がゆっくりになった。ストレッチも少しずつ復活だ。
 荷物の片付けはたくさん残っているが、その前に、先週できなかった月例の掃除の後半をやらねばならない。レンジフードと天井の掃除である。MJQの「ジャンゴ」をミニステレオで流しながらやった。そうだ。2階の故障しているデッキ類も修理に出さねば(ああ、やることが多過ぎる)。
 来月締め切りの2件の原稿について、正式に承諾することを先方へ伝えた。
 しかし、その前にやることがある。が、児童書の再校ゲラの著者校正は今日も手がつけられそうもない。
 じぶん銀行から2件の振り込みをiPhoneでおこなった。手数料がかからないのが嬉しい。
 あとメールをいくつか送る必要があり、これにも相当の時間がかかった。下手な文章だが、それでも推敲しながら書いているのだ。性分だろう。返信があると、またサービス精神が頭を持ち上げてきて返信を送ってしまう。これも性分だ。そういうメカニズムで、愚かな私の仕事はエンドレスになっていく。
 一方、あれこれと雑用みたいなことをやっていると、執筆の質が低下する。読書をすべきだが、その時間がない。それで、ついついAmazonprimevideoで時代劇なんぞを観てしまう(笑)。「平手造酒(ひらてみき)」を少し観た。50年代の白黒映画は画面が暗い。新国劇のせいではないが、セリフが聞き取りにくい。しかし、時代劇としてリアリティを感じる。だから、多忙な現実からの逃避だが、勉強にはなる(言い訳)。

11月11日(金)「通院予定の日・・・の風さん」
 仕事と同様に通院予定もたまっている。
 地元の総合病院へ行き、最初に採血をしてから診療科で呼ばれるのを待ったが、ツムツムをしているほどの元気がなかった。帰宅して多忙な状態が少し続いただけで、もう体力不足になっている。秋田大会ではあれほどエネルギッシュに動いたのに。そうか。その疲労がまだとれきれていないのだな。
 診察を受け、薬をもらって、帰宅したのは午後1時ころだった。
 昼食後、また次の通院予定である。
 地元のクリニックへ行き、早く終わるために、若い番号札をとる必要があった。しかし、もう出遅れた。なぜなら、ワイフが不在で、家を出ようとするときに、サラちゃんがウンチをしたからだ。ウンチを砂ごと除去し、オゾン式の消臭機を稼働させなければならなかった。オゾンは酸化能力が高く、アンモニアと反応して、消臭効果を発揮するのだ。あえて化学反応式をここに書く気はないが、理論的なのである。
 クリニックでは通常の診察に加えて、インフルエンザの予防接種もおこなった。来週、コロナのワクチン接種もあると言ったら、看護師が、同じ日に打っても問題ない接種だが、左右別々に打った方がよいと言うので、今日は右腕に打ってもらった。来週は左腕だ。
 薬が出るのを待っている間に、ついついウトウトしてしまい、薬が出ているのに気付かず、帰宅が遅くなった。
 ベルメゾンから千円のクーポンがもらえたので、安いメンズファッション(長袖のカットソー)を厳選して発注した。今着ているシャツは首のところに穴がある(私の肉体と同様に、着るものもどんどん欠陥が生じる)。
 新しい液晶テレビにビデオデッキが接続できなかったので、RCAからHDMIへの変換機を(一方通行なので、逆方向と間違えないようにして)発注した。
 今夜も重要なメール発信をしているうちに時間がきて、児童書の再校ゲラの著者校正ができなかった。
 毎日忙し過ぎる。

11月12日(土)「児童書の再校正ゲラの著者校正・・・の風さん」
 いくら何でも今日中に再校ゲラの著者校正を終えねばならない。なぜなら、『会津人群像』用の原稿の締め切りは来週の半ばで、その執筆の時間も確保しなければならないからだ。
 ということで、再校ゲラの著者校正は、今日から始めて今日中に終える。そして、明日の午前中に宅配で出版社へ送る。そうするしかない。
 再校ゲラの著者校正は、比較的スムーズに進んだ。なぜなら、出版社の編集者が疑問点を先に列挙してくれていたからだ。それらを優先的に対応した。あと、自分で気付いた点を修正すればいい。ところが、自分で気付く間違いがぞろぞろ出てきたのだ。編集者が時間軸のおかしな部分を指摘していたので、よけいそれが目立った。つじつまが合わない部分もあり、どうしてもぼかした構成と文章にせざるを得なかった。今さら大修正はかけられない。
 何とか午前零時までに終えることができた。結局、1日で著者校正をしたわけで、1日でできるのなら、毎日気持ちの上で焦る必要もなかったのかもしれないが(笑)。
 途中で気分転換に重要メールのやりとりもできた。新たに、Amazonprimevideoで洋画を少し観た。配信の期限が迫っているので、ちょっと焦って観ることにした。

11月13日(日)「やっと次の原稿に?・・・の風さん」
 スマホのアプリを利用して、著者校正済ゲラをクロネコで送った。宛て名など手書きでないので、これは楽だった。着払いで送っていいですよね、と編集者へ問い合わせていたが、返信はなかった。それでも着払いで送った。ごめんなさい。昼までにコンビニから発送できたので、ホッとひと安心だ。
 午後から、『会津人群像』用の原稿に取りかかろうとしたが、実は頭の中は真っ白だった。依頼内容は承知しているが、どう書けば面白い原稿になるか、これまでアイデアが浮かんでいなかった。
 こうなると、書きながらアイデアを出す、いつものやり方でやるしかない。執筆マシンでテキストを開いて、コンテンツを思い付くまま箇条書きで並べていく。画面に並び始めた文章を見ているうちに、それらの文章の価値評価ができるようになる。読者が読んでよかったと思われる文章が選抜されて残るのだ。同時に構成も浮かんでくる。
 今日はメモを書くだけで精いっぱいだった。
 金曜日にベルメゾンとAmazonに発注した品物が、それぞれ飛脚とクロネコで運ばれてきた。早!
 また、深夜に入り、洋画の続きを少し観た。斬新ではないが、けっこう面白いストーリーだ。永遠のテーマだからだろう。とは言え、明日も寝坊はできないので、今日はここまで。

11月14日(月)「何とか原稿執筆に目途・・・の風さん」
 金曜日に続いて通院予定の日だ。
 キャメロンで出発。胃腸病院で上部内視鏡検査の結果を聞き、また来年の予約をするのだ。片道1時間半かかる。
 途中でキャメロンに異常を感じた。夏にも起こったことだった。もう一件、秋田でも感じたことが起きた。
 予定通りの時刻に胃腸病院に到着し、診察室へ入った。結果は、食道から胃そして十二指腸まで問題なしだった。今年の定期健康診断のオプションで便潜血は陰性だったが、(隔年で受けているので)来年の大腸内視鏡検査をお願いした(その代わり、同じく隔年の脳ドックはやらない)。鎮静剤を使っておこなうここの検査はストレスがなくて楽だ。
 続いて、カリチューへ向かった。社長にやっと新刊を贈呈しつつ、キャメロンの異常をいくつか説明した。今日再発した異常の一つは、しっかり調べた方がいいと言われたので、ドック入りさせることになった。
 その異常とは、コンソールの過熱である。金属でつながっているシフトノブ周辺が熱くのは良いとして、樹脂製のコンソールの過熱はやはり異常だ。車台の下部から熱が伝わっているのは間違いない。発熱源が何か気になる。社長も同感だった。
 あと、秋田でオーバークール気味になった話をし、ラジエータの電動ファン用のサーモスタットが狂っている可能性を伝え、点検してもらうことにした。実は、今朝もややオーバークール気味(水温計の針が下がり過ぎ)だった。
 なるべくぼろい軽の代車をお願いし、ムーブを借りた。社長から面白いことを教えてもらった。燃料給油キャップの開閉用スイッチがないという。ドアロックと連動していて、ドアを開けるとキャップは指で開くという。これで以前ドイツで借りたレンタカー(BMW320D)の給油キャップの仕組みがやっと分かった。この軽はBMWと同じだね、と言って笑い合った。
 次は、歯医者である。定期健診。外で待っている間、また疲労がどっと出て、代車の軽の中で仮眠してしまった。しかし、このムーブは、運転していて前方の視界が広く、とても運転しやすい。
 予約時間になった。歯のレントゲン検査も毎回受けている。心配している部位に変化はなかった。ホッとした。時間的に余裕があり、歯の掃除を入念にやってもらった。歯茎の口内炎を指摘された。そう。最近、よく起きるのだ。歯周病よりはマシだが、関連していると怖い。
 夜は、『会津人群像』用原稿の執筆。午前零時までに、いくらか目途がついた。やればできるから、まだ自分は大丈夫だと思う。何が大丈夫かって? ボケだ。老耄だ。認知症だ。

11月15日(火)「SF映画は面白い・・・の風さん」
 ワイフを最寄りの駅まで送った。
 毎日少しずつしかできていない荷物の片付け(まだ終わっていなかったんかい(^_^;))をしていたら、返信ハガキが出てきた。すぐに書いて、歩いて投函に行って来た。こういった(健康的な)日常を早く取り戻したい。
 それから朝食。サラちゃんにもおやつをあげてみた。エサをやり、遊んでやらないと、保護猫はなかなかなつかないらしい。これまで多忙だったので、これからはできるようになる。
 昨日に続いて原稿の執筆に専念……と言いたいところだが、少しずつ片付けをしたり、郵便小荷物を受け取ったり、同級生からの電話に出たりしながら、何とか深夜になる前に原稿ができた。メール添付で送付した。
 やっと本当にやっとホッとした気分になった。
 階下へおりて、新しいテレビで途中まで(執筆マシンで)観ていた洋画の続きを観た。ブルース・ウィルスの「ルーパー」である。未来SFものだ。「ターミネーター」、「バックトゥーザフューチャー」のようなものだ。未来(と言っても30年後)から現代にやってきたブルースウィルスが、自分の人生を変える(愛妻を殺させない)ため、現代の人物を殺そうとするのだが、出会った30年前の自分によって逆にブルースウィルスの存在が消されて幕を閉じる。ややこしいストーリーだ。ルーパーは、輪廻転生を連想させる言葉だが、しょせんSFである。
 とは言え、人生の本質を突いている。もう69年もの長い人生を生きた自分には考えされられる映画だ。人生は今さらやり直せない。だから、残りの人生をどう生きるか。それしかない。常に悩ましいことが続く。それが人生だろう。
 ま、といかく、配信期限が来る前に観られてよかった。

11月16日(水)「頚椎症で苦しむ・・・の風さん」
 リビング、ダイニング、キッチンを歩き回れるようになったサラちゃん。次に開放するのは和室だろう。しかし、次女の部屋にしていたそこは、半分物置状態だ。開放したとたん、積み上げた段ボール箱の上にのるのは間違いない。崩れないようにしておかないと危険だ。とりあえず、自分の荷物を長男の部屋へ移動させた。次は、ワイフの荷物。それが減れば、積み上げた段ボール箱の整頓ということになる。
 これまでできなかったことが色々やれるので、朝から力が入った。ストレッチにも力が入った。しかし、それがいけなかったことは後で分かったのだが、昼前から頭痛がしだした。左の耳の上の奥、キリで刺すような鋭い痛み。ちゅうちょなく頭痛薬を服用したが、効果なし(その理由もあとで分かった)。
 サラちゃんと遊んでやり、おやつのちゅ〜るもあげた。しかし、頭痛は治らない。
 1時間ほど仮眠してみたが復活しない。頭痛薬をもう1錠服用した。
 頭痛はひどいが、気まぐれ日記の更新に取り組んだ。何とか、秋田から帰宅して1800キロ走行を把握したところまでは更新したかった。作業をしながら、頭痛の原因が頚椎症だと気が付いた。頸椎を圧迫すると、妙な部位に影響が出る。これまで肩の鈍痛が多かった。今日は頭痛として発症しているようだ。とうとうロキソニンのジェネリックの出番となった。
 重要なメールを送るころになって、頭痛がやわらいできた。やはり頚椎症が原因だった。そして、頚椎症を引き起こしたのが、朝の入念なストレッチだったのだ。

11月17日(木)「頚椎症をだましながら・・・の風さん」
 当面の最重要課題は身辺整理(片付け)だが、何から手をつけたらいいか分からない。秋田旅行から帰って段ボールのごみがたまった。とりあえずそれらを分解し、平たくして紐でしばった。自らの意識付けだ。
 そして、ロキソニンを服用して何とか頚椎症をおさえ、片付けになるような作業に注力した。特に足元(つまり床の上)をスッキリさせないと、次の仕事ができない。長男の部屋を重点的におこなった。
 今日もサラちゃんと遊んでやった。工夫して動画を撮影し、インスタにも投稿した。これが日常になるといいのだが。
 今日は5回目のワクチン接種が予定されていた。会場へ行くと、入場者数を減らしているらしく、停滞なく進行していく。まさに流れ作業だ。町の職員が分担して運営しているのだが、今日は、知り合いが3人もいて、ちょっと不思議な気分だった。接種はあっという間に終わってしまった。
 これまで副反応を気にして、解熱剤と肩の痛み止めをスタンバイさせている。今日は頚椎症の方が気になる。
 晩御飯後、少し熱っぽい感じがした。直感で36.5度かなとつぶやきつつ、体温を測ったら、ずばり36.5度だった。
 接種した左肩は痛い。しかし、痛み止めのアセトアミノフェン剤を服用するほどではない。微熱ももう上がらない。
 結局、また頚椎症が原因の頭痛がし出して、ロキソニンを服用しただけだった。
 最後にした作業は、拙著を送る封筒を2通準備したことだった。

11月18日(金)「急遽眼科へ・・・の風さん」
 明日から週末になるので、月例のATMまわりをしなければならない。
 先に昨夜準備した郵便物を出すためにJP分局に行った。ゆうメールで出そうとしたら、厚さが3センチを超えているので、レターパックを勧められた。せっかく昨夜、宛て名シールも印刷したのに……と思ったが、節約の方を優先した(この選択は大正解だったことがあとで分かる)。その場で、2通の宛て名書きをし、用意した封筒ごとその中へ入れた。脱力……。
 JAへ行き、キャッシュをおろし、続いてUFJのATMで用事を済ませた……が、自分の通帳記入をして、とんでもないことに気が付いた。残高が少なくて、あと半月ももたないのだ。夏以降、積極的に行動した。東京から笠間まで足をのばしたし、秋田大会の準備のため、空路秋田往復をした。途中で京都取材までしている。残額が得るのは止むを得ない。その後、想定外のテレビの故障だ(買い替えた)。秋田大会での出費などが、12月早々に引き落とされる。残額ではマイナスになってしまう。そうだ。キャメロンの修理代もあるぞ。また家計から借金するしかない。情けない。
 処方されていた目薬が昨日でなくなったので、急遽、名古屋のかかりつけの眼科へ行くことになった。
 おにぎりを2個食べて、代車で出発。いつもの途中駅まで行って、電車に乗り換えた。午後4時前に病院に着いた。今日は薬をもらうだけだと受付で伝えたが、検査だけはするように言われた。診察開始の4時半より前に検査をしてくれた。ところが、結果が悪く、看護師は医師に相談しに行ってくれ、診察が必要だと言われた。予約の患者が大勢いて、長時間待たされた。半分寝ていた。しかし、待った甲斐があった。実に久しぶりに院長先生に診てもらえた。30年以上の付き合いになる。もうかなり遅い時刻だったが、しっかり診察し、カルテやデータをじっくり見て、薬の処方を変えてくれた。
 来年の予約は既にネットでしてあった。新しい処方が効果を出してくれるといいが……。
 帰宅し、遅い晩御飯後、また頚椎症で頭痛がし出した。通常2個とされるが今日3個目のロキソニンを服用した。

11月19日(土)「ドロバチの新知識・・・の風さん」
 ワイフと相談し、ついにサラちゃんに和室を開放した。積んである段ボール箱の段数はいくらか減らして、そこから、たとえばカーテンレールなどに容易に飛び移れないようにしておいた。
 以前ケージから出られなかった時でも、和室の引き戸は開けておき、ケージの中から見られるようにしていたので、そこに部屋があることは何となく知っていたはずである。開放したら、案の定、ちゅうちょなく入って行った。ただし、叱られるのではないかと常にびくびくしているので、遠くから黙って観察した。あちこち匂いをかぎながら、ゆっくりゆっくり歩き回っていた。途中で何度も出入りしながら、確認範囲を増やしていき、外が見えるカーテンの向こう側(腰高障子のあるところ)が気に入ったみたいで、そこへは何度も行った。予想と違って、積み上げた荷物の上には一度も上がらなかった。
 ケージから出て歩き回る空間が増えたことで、サラちゃんの表情に余裕が出てきたみたいだ。
 夕方、長女がやって来てからは、遊んでくれるものだから、さらにサラちゃんの動きが活発になった。
 今日は、他に、新しいテレビにDVD/VHSビデオレコーダーを(変換機を介して)接続し、ちゃんと映像が見られるか確認した。試しに「アナと雪の女王」のDVDを入れてみた。何とか見られそうだ。それにしても、アナ雪は何度観ても面白い(笑)。
 午後、ワイフと墓参に行って来た。線香立ての奥に、土の固いかたまりがあって、どうもハチの巣のような感じがした。林の中から小枝を拾ってきて、このかたまりを破壊したら、中から黒い虫の死骸と白い幼虫が何匹も出てきた。そうこうしているうちに、スズメバチによく似たハチが飛んできたので、怖くなって、二人で遠くへ避難した。やがて、ハチの姿が見えなくなったころ、線香立てを戻した。拝礼は離れて実施した。
 無事だったことに二人で安堵したが、無知とは恐ろしいものだ。やらなくてよいことをしてしまったことに、あとで気が付いた。ネットで調べて今日発見したものの正体が判明したのだ。
 あれはドロバチの巣だった。ちょうど今頃、ドロバチは土のかたまりで巣を作る。出入り口のトンネルだけ残している。そこから毒でしびれさせたエサの虫を入れ、卵を産む。その後、トンネルの入り口はふさぐ。中で幼虫が生まれ、エサを食べ、やがて成長すると巣を内側から食い破って外へ出る。
 このドロバチはいたっておとなしく、刺されることもほとんどなく、また刺されても毒は弱いという。なので、ドロバチの巣は、自然保護の観点からも、そのままにしておけばよかったのだ。無益な殺生をしてしまった。
 もしかすると、来月墓参に来れば、また同じところに巣ができているかもしれない。今度はそのままにしておこう。

11月20日(日)「昔の連続ドラマに人生を観た・・・の風さん」
 連日、ロキソニンを3錠ずつ服用している。朝のストレッチでもう無理はしていない。そのうち体がだまされて、元に戻ることを期待している。うまくいかなかったら、かかりつけの整形外科だ。レントゲンかMRIで特に悪化していないことを確認して、ロキソニンが処方されるだけだと思う。かつて、別の病院でリハビリの一種で首を引っ張ってもらったことがある。その時は逆効果で、かえって痛くなった。なので、頚椎症とは、だましだまし付き合うことにしている。
 身辺整理の続きをやっている。なかなか片付かない。今日は久しぶりにたまった名刺の整理をした。机上が少しスッキリした。
 昨日から長女が来て、長い時間、サラちゃんと遊んでやっているので、またサラちゃんと家族との距離が縮まった気がする。長女なら、サラちゃんの体に触れることができるようになった。
 昨日の晩御飯はきりたんぽだった。いつもの秋田空港でなく、秋田ふるさと村で買ってきたのだが、使っているしょうゆが、懐かしい秋田の味がした。その出汁が残っていたので、今夜は雑煮になった。
 その後、長女を名古屋まで送り、帰ってきてから、Amazonprimevideoで「パパと呼ばないで」の2回目を観た。高3の時(50年前)の連続ドラマで、毎回感動して観ていた。主演の石立鉄男は、この前の作品(「奥さまは18歳」)から有名になったが、それよりずっと以前、映画「殺人者」の主役で、シリアスな演技をしているのを観たことがある。髪もストレートだった。「パパと呼ばないで」を観ていると、出演している多くの役者が亡くなっているという現実に愕然とする。11歳上だった石立鉄男も15年前に急逝している。
 今夜も3錠目のロキソニンを服用して就寝した。体のあちこちが傷んでいても、自分はけっこう長生きしていることを感じる。

11月21日(月)「アトラクションみたいな映画・・・の風さん」
 キャメロンの修理が終わったと連絡があった。コンソール周辺の過熱現象は原因不明のままで、とりあえずミッションオイルを交換したとのこと(以前にも交換しているので、関係ない気はする)。あと、ラジエータファンのサーモスタットも交換。これはOKだ。ついでに、ETC車載器も更新してもらった。旧タイプが装着されていたので、いつ使えなくなるかという不安を解消するためだ。最初にするつもりだったオイル交換も終了。受け取りに行くのは明後日かな。
 児童書のゲラ校正も順調に進んでいるとエージェントから連絡があった。今週中に最終確認のゲラが送られるとのこと。コロナのせいで、リアルの打ち合わせはほとんどなく、オンラインやメール、電話のやりとりだけでここまで来た。何でも全力主義の私には不完全燃焼感がある。しかし、こういった仕事のやり方でも、ちゃんとした作品が出版できれば、それなりの成果と言えるだろう。
 ログの照明器具の位置を低くして、手元が明るくなるようにした。長い間の懸案事項で、補助照明を追加しようか考えていたので、このアイデアは素晴らしかった。電力使用が増えないのだから。
 バースデープレゼントはがきが届いていて、私の期限は切れたが、ワイフのは今日が期限だという。それならと、大型モール内にあるレストランへ食べに行った。平日のせいか、それともまたコロナを気にしている人が増えたのか、客は少なかった。
 帰宅し、またAmazonprimevideoで洋画を観た。ハリソン・フォードのインディ・ジョーンズ「クリスタル・スカルの王国」。これは観たことがなかった。ディズニーシーのアトラクションみたいな映画だった(笑)。
 今日2錠目のロキソニンを飲んで就寝した。1錠減ったのが明るい材料か。

11月22日(火)「貧乏性・・・の風さん」
 明日は勤労感謝の日で休みなので、今日中に自分の口座に(家計から借金して)お金を入れておきたかった。
 他にも用事があるので、バタバタと準備して、代車で出かけた。ところが、JAに着いてATMへ向かって歩いている時に、通帳を忘れたことに気が付いた(何やってんだか)! 家へ戻る気力はなかった。そのまま、ドラッグストアへ行ってまとめ買いし(ここでも買い物を一つ忘れた)、ホームセンターへも行って買い物をした(ある品物を何度目かの物色もした)。代車は前方の視界が広く、とても運転しやすい。
 身辺整理の続きをやっているが、いつ終わるか分からない。何とか月末までに決着をつけたい。今日は、長男の部屋でPCを1セット立ち上げようとしたが、うまく行かなかった。また変換機が必要になる。古いタイプのPCをいつまでも所有していて保険と称して使えるようにしたいので、こういった手間ひまがかかる。貧乏性は一生治りそうもない。
「パパと呼ばないで」の3回目を見て、書斎へ戻ろうとしたら、メルカリ出品が1つ(ビジネス本だ)売れた。明日、発送しなければならない。
 今日のロキソニン服用は1錠で済んだ。明日は頚椎症から解放されるかも。

11月23日(水)「32年後に起きたこと・・・の風さん」
 今日は終日雨。修理の終わったキャメロンを受け取りに行かなければならない。
 代車で出発。コンビニで売れたメルカリ出品を発送した。純利益は420円。大きい。GSで代車に千円分給油した。
 カリチューまで片道1時間以上かかるが、途中で用事を済ませながらだったので、気にならない。運転は好きだし。雨の祭日のせいか、大型ショッピングモールでは、駐車できないクルマが道路に並んでいた。
 カリチューでは、昔の野球の話をした。広島のホプキンスという、ドクター(研究者でもある)の話題だ。
 キャメロンの調子はまずまずだった。オイル交換したので、エンジンはスムーズに回転しているし、沈み込んでいたと思われるサスペンションも元に戻ったようだ。エアコンがONでも暖房がしっかり効いていたので、サーモスタットの交換も良かったかも。ミッションオイル交換でコンソールの発熱が直ったかは、当分乗らないと分からない(たまにしか異常は出ないから)。
 片付けの中で、名刺整理がやっと終わった。秋田大会でお会いして、しっかりお話できなかった人がいたので、メールを送っておいた。そうこうしている間に、またメルカリ出品(雑誌)が売れた。2日連続とは最近珍しい。もう半年ぐらい出品していない。来月くらいから再開して、身辺整理の助けにしたい。
 超多忙なので、あえて見ていなかったのだが、サッカーワールドカップで、日本がドイツに逆転勝利した。歴史的快挙いやそれ以上だと思う。
 1990年、ドイツは西ドイツ単独として最後の参加だった(ベルリンの壁の崩壊は、前年の11月から始まっていた)。ベッケンバウアー監督率いる西ドイツは、決勝でマラドーナのいるアルゼンチンと対戦した。場所はローマで、日にちは7月8日(日)だ。西ドイツは1−0で勝利し、優勝した。その瞬間、私は出張でドイツのホテルにいた。テレビ観戦していた他の客たちと、私はわけもわからず喜びを共有した(笑)。
 サッカーの強いドイツは、その時以来、私の頭に刷り込まれていた。あれから32年である。
 選手一人ひとりの勝利後インタビューを聞くと、例外なく、まるで監督か解説者のようだった。つまり、チームは監督含めて一体となって戦っていた。全体の作戦、一つひとつの戦術にいたるまで、ハイレベルで理解し、自身の持つ最高のパフォーマンスを目指して戦っていたのだ。
 さらに、選手たちが引き上げたロッカールームがきれいに整理整頓されていただけでなく、折り鶴まで残していたことから、彼らが、スタンドのサポーターはもとより、日本で応援していたサポーターとも一体になっていた事実を知って、私は震えた。

11月24日(木)「おだやかな日は来ないのか・・・の風さん」
 午前中にキャメロンで外出。ファミマからメルカリ品を発送した。続けて、JAからUFJのATMへ渡り歩いて、一昨日できなかったキャッシュの移動をおこなった。貧乏作家に逆戻りだ。
 来年の活動資金が不安になって落ち込んでいたら、吉報が届いた。来月のセミナーが開催されるという。久々の集合型セミナーである。オンライン受講者はいない。講義も楽しいが、活動資金が手に入るのが嬉しい。
 あらためて発注した変換ケーブルが届いたので、ビデオデッキと新しいテレビをつないでみた。先に購入した変換機は電源が必要だったが、これは単なるケーブルなので、電源は不要である。うまくDVDを映すことができた。不要になった変換機は、そのうち2階で用意するテレビ環境を整えるときに使うことにする。
 新しい執筆マシンを復活させることにした。すべて同じメーカー(FMV)のデスクトップで、Windows8⇒10⇒11と3台もある。10ばかり使用しているが、ネット接続の不安定さが最大のネックだ。11にするには、いくつかのソフトを移す必要があり、これまで超多忙でできなかった。
 ところが、この11のマシンは、一度ドック入りしてメインボードを交換した履歴があった。それが、今日、電源を入れてみると、また似たような現象が生じた。起動させても、ディスプレイに映るところまで行かないのである。このトラブルのために、今日は、児童書の最終ゲラ校正をする予定だったのが、全くできなかった。明日、サポートセンターへ電話で相談することにした。やれやれ。

11月25日(金)「何とかゲラ校正を終了・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送り、戻ってきて軽く朝食。今日もやることが多くて不安な1日がスタートした。
 サラちゃんがウンチをしたので、トイレの片付けをした。オゾン脱臭機も稼働。
 書斎に入り、予定通り、富士通のサポートセンターへ電話した。チャットでの相談を勧めるメッセージが何度か出るが、前回もこの電話で解決したので、迷うことなく、オペレータにつながるのを辛抱強く待った。
 私が明快な説明をしたので、結論は比較的早く出た。前回と同様にドック入りだ(笑)。私はすっかり忘れていたが、前回は先方で不具合が再現したのでメインボードを交換して戻したそうだ。今回もその可能性が高いというニュアンスの説明だった。もしかすると同じ不具合が多発しているのかもしれない。だとすれば、生れ落ち(設計)が悪い。保証期間の間に、改良されたメインボードと交換してほしい。
 PCの引き取りは明日、2週間程度で戻るとのことだったが、きっともっと早い。
 昨日できなかったゲラの著者校正に取り掛かった。何が何でも今日中に結果を戻さなければならない。
 午後3時過ぎまでかかった(昼食はインスタントラーメン)。ほとんど修正はないと思っていたが、最終的に11か所だったので、スキャナーで読み込んでPDFにし、メール添付で送った。28日(月)が校了の予定だ。
 急いで気まぐれ日記を更新し、予定していた品物をAmazonで発注してから、私も電車で名古屋へ向かった。
 ワイフと合流し、年に1回恒例の買い物と食事をし、電車で帰宅した。
 また、Amazonprimevideoで「パパと呼ばないで」の第4回を観た。錚々たる脇役陣にも注目している。大坂志郎をWikipediaで調べたら、秋田県人だった。当時は52歳。69歳、今の私の年齢で亡くなっていた。

11月26日(土)「これでも平凡な一日・・・の風さん」
 階下へ降りてその日一番の発声は「アレクサ〜。おはよう」だ(笑)。今日の返事は、おはようございますに続いて、「今日はいいふろ(1126)の日です」だった。ちゃんと自分でカレンダーに書いてある。毎月26日はふろの日だから、風呂釜洗いをするのだ。シャワーシーズンはもう終わっている。
 昨日の予告通り、修理するPCの引き取りが来た。クロネコや飛脚ではない。日通航空とは、珍しい会社だ。航空貨物で輸送するのだろうか。届け先は佐久……長野県か。秋田の復路では通らなかった。
 PCのセキュリティソフトの期限が迫った。前回は、オンラインを解約して、あらためてパッケージを買った方が安いと伝えたら、1年継続を1年半継続にしてくれたので、そのまま継続契約していた。その期限がいよいよ切れるのである。あれこれ慎重に比較検討している余裕はないので、3年版で継続した。修理に出しているPCも含めて5台にインストールすることになる。今日はこの旧執筆マシンとMacBookAirにインストールした。
 上野先生の文庫化する本の解説を頼まれている。元々の本は熟読していた(はずだった)が、読み返してみると、記憶はみごとに消えている。初めてのつもりで取り組むしかない。
 今日はワイフのトール教室があって、途中で生徒さんたちが母屋へやって来た。サラちゃんが逃げるかと思ったら、生徒さんに呼ばれて近くまで行った。これは驚くべきことだった。少しずつ人間に対する警戒心がなくなっているのだろう。家族に慣れる日も近い気がした。
 その後、風呂釜洗いをした。タイマーはすべてアレクサに任せた(笑)。

11月27日(日)「それしかない・・・の風さん」
 片付けは毎日少しずつしか進まないが、1ミリでも前進させていく。それしかない。
 その片付けに集中できないのは、気になる仕事がまだたくさんあるからだ。
 昨日に続いて、PCのセキュリティソフトをインストールした。ワイフのノートPCと旧々執筆マシン(Windows8)である。PCトラブルのことを考えると、複数台所有している現状は間違いではない。しかし、台数が多過ぎる(笑)。新たにスタンバイ状態にする気はないが、旧々々執筆マシン(WindowsXp)も健在で、それがあったから、最も古い外付けHDのトラブル対応ができたのは今年のことである。だから、当分これも廃棄することはやめる。秋田大会では、古いミニノートPC(WindowsXp)も再稼働させようとした。いちおう動作したが、液晶ディスプレイとの接続までは、時間切れとなった。すべて問題なく動作するなら、最後はメルカリ出品だろうと思っているが、そのための時間もとれるか今は分からない。
 これで、セキュリティソフトは、ドック入りしている新執筆マシンだけとなった。
 今日は、10月から再開している近畿和算ゼミがおこなわれている。来月、私も3年ぶりに参加するつもりだ。
 今日も、上野先生の本を再読している。けっこう中身が濃くて深い。引用文献にあたる必要が何度も生じる。以前もまじめにチェックしたのか怪しい。引用文献の中身も濃くて深い。
 自分の身辺整理以上に進み方がゆっくりしているのが、サラちゃんとの信頼関係の構築である。どこかでドラマチックなことが起きるのかもしれないが、当面は、じっくりと焦らず取り組む。それしかない。

11月28日(月)「児童書が念校に・・・の風さん」
 昨夜のサッカーの試合はくやしかった。コスタリカに対しては、日本は先制が最も大事だと思っていた。試合が進むにつれて、相手は0−0でも止むを得ないと思うようになったのではないか。ひたすら日本は押していたのだから。まさかのワンチャンスで1点取られるとは思わなかった。実力差が少ないと、本当に何が起こるか分からない。
 最後のスペイン戦は、寝ないで応援しようと思った。
 キャメロンで外出。百均で靴の底に敷くクッションを買った。あとで、大きさの調整をしようと鋏を片手に入れてみたら、長さ方向はカットの必要がなかった。ところが、幅方向は少し小さかった。変だなと思って、包装紙を見たらLadiesと印刷されていた。そうか。女性用は幅が狭いのか。こういった不注意はよくあることで、私の性格だろう。
 ホームセンターとドラッグストアで買い物をし、さらにUFJのATMでキャッシュを移動させた。メインの通帳の残高が危険水位になっているからだ。浪費癖も私の性格……ではなかった、母譲りだ(笑)。
 児童書のゲラ校正が、今日は念校(校了直前の念のための校正)ということになり、夜遅くまでかかって修正があった。児童書といえど、一つの作品を仕上げるには相当なエネルギーを要する。年末に出る今回の作品もレベルは高い。幸福感を味わえそうだ。

11月29日(火)「エッセイ原稿も校了・・・の風さん」
 相変わらずやることが多岐にわたっていて、それぞれを少しずつやっているので、「片付いた感」がとぼしい(笑)。
 長男の部屋に半ば片付け目的で旧々執筆マシンを設置することにした。机はコンセントから遠いので、左右から延長コードで引っ張って、2か所コンセントを増設した。CPUと外付けHDDは床の上の台にのせることにした。余っている外付けスピーカーも配線した。電源を入れてみたら、Wi-Fi接続含めてバッチリ動作する。書斎より環境が整った感じすらする(笑)。同時にシュレッダーの位置も確定した。あとは、旧々々執筆マシンをどこに保管しておくかだ。やれやれ、モノが多過ぎる。
 週末の上京スケジュールのうち、往路分をだいたい確定できた。ホテルにチェックインする前に、2か所で買い物があるので、それを盛り込むのがけっこう大変だった。
 歴史春秋社の『会津人群像』のためにエッセイ風の原稿(タイトルは「『鬼女』を書き終えて」)を提出してあった。そのゲラができて、PDF添付で送られてきた。見開き2ページだった。いくつかの修正要求があったが、編集方針にしたがうことに決めているので、すべて了解。これで校了になる(ホッとした)。新年発行なので、『鬼女』の良いPRになるな、きっと。

11月30日(水)「超多忙の11月だった・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送り、その足でコンビニへ。またメルカリで本が売れたのだ。昨夜梱包しておいた。最近続けて3冊売れたが、2冊目(雑誌)は配達されたのに、受け取り連絡がない。ちょっぴりフォローメッセージを送っておいた(こういうことは以前にもあった。原因、実態、状況不明)。
 月例の掃除の時期だ。今日は、ワイフが不在なので、半分やっておこう。外出しての買い物は延期。
 続けて、ルーチンと並行して hairdye も強行(笑)。遠出がある時は、タイミングを見てこれをやるのだが、五十代のロマンスグレイが懐かしい。これからどうなるのか。その前に、髪活にも挑戦。何とも、長生きする人生は面倒だ。
 昼食後、サラちゃんがテーブルの上に顔を出して可愛かったので、おやつの「ちゅ〜る」をあげた。粘り強く距離を短くしていかねばならない。
 昨日に続いて、週末の上京スケジュールのうち、復路分をほぼ確定できた。けっこうタイトなタイムスケジュールになってしまった。全体を再点検すると、荷物が多過ぎる。314回忌の礼服は断念しよう。
 他愛もない話だが、ツムツム。月初には新ツムが出る。ユーチューバーの評価コメントを参考にして、入手計画を立てるのだが、来月の新ツム第一弾は、性能面では期待外れ、コレクション用とのことだった。私は基本的に彼らのアドバイスにしたがう。
 秋田大会で始まった11月だったが、その後は、通院が多い中、児童書の校了を乗り切った。超多忙だった。


2022年12月はここ

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